お母さんになって、変わった。
例えば子供がかわいいってこと、他所の子も全員かわいい。長らく唱えた性悪説は、性善説じゃぁないかと思い始める。ひどく恐ろしいニュースなぞは本当に恐ろしく、皆が声を殺すニュースなぞは真っ青になるほど恐ろしい。身体は私の長らく知った感覚ではなく、感情は子供に真っ直ぐでその他はチラチラと散らばってまとまらない。忙しいなか考える。やっぱお母さんでしょ、ってのは本当か。うまくのせられちゃないか。何にのせられたのか、はて、女か、男か、アレか?この忙しさは何か、世代交代か、子供を捨てた芸術家の本当の理由は何か、それを知る必要があるのか、なんのための手続きなんだ、カネか?ひとか?私は社会的にまともになったか、まともってなんだ?って思うのはまともじゃないか。
こういうのはどうやって散らしてきたんだっけ?酒とか恋とかダンスとか、絵描いたりとか、漫画描いたりとか。
そうかそうか、だけどお母さんが酒とか恋とかダンスすると何か汚いのはなんでなんだ。汚さにユーモアが宿るのはなんでだ。スナックの女将はちょっと汚いほうがいい感じなのはなんでなんだ…。
生きるって何だ。時を過ごすことだと父が言う。選択して時を過ごすことだと誰かが言って、だからなんだ。で、どうなんだ。私は美しく在り得るのか。
変わるものかよ草々。
どこに至って夕日がちょっと悲しいとか思っちゃう奴には同じことなんだから。